資本主義の中で生きるということ 岩井克人著

 「ヴェニスの商人の資本論」、「貨幣論」、「二十一世紀の資本主義論」の岩井克人先生の最新作…というと書き下ろしみたいだがそうではなくて、「二十一世紀の資本主義論」以降に書かれたエッセイやインタビューのアンソロジーみたいなもの。ご本人も「比較的多くの読者に開かれている内容のもの」とおっしゃってるように、話題も多岐に渡りくだけて読みやすいものも多い。

 それらを一個一個挙げてああだこうだ言うのもなんなので、これは面白い、というものを絞ってご紹介しようと思う。最初のほうにあるエッセイもいいんだけど、ガツンとボリウムがあって勉強になるなぁと思ったのは「V 時代を越えて考える—『貨幣論』以降の研究から」と題された章の一連の論文である。

 話はアリストテレスからはじまる。アリストテレスにいれば、人間の共同体が十分に小さかった時、財の獲得は物々交換で行われた。しかし人間がポリス規模の社会を形成するようになるとモノや仕事を物々交換で流通させることは難しくなる。そこでその交換を媒介するものとして「貨幣」が生まれる。しかしこの貨幣交換が拡大すると手段と目的が入れ替わってしまう。本来は媒介でしかない「貨幣」そのものをヒトは欲し始める。で、アリストテレスはこれを批判する。軍事や医術など共同体をより良くするためのモノや仕事までも貨幣獲得の道具になるからだ。

 しかしこの先哲の知見は省みられることなく、18世紀になってアダム・スミスがこれを全肯定する。みんな憶えているでしょ? みんながてんでに利益追求に走っても、あの有名な「見えざる手」によって均衡が生まれ秩序は維持される、とスミスは説いた。いやしかし現実はそうはいかず、アリストテレスが予見した通り、この資本主義社会は根底に不安定さを宿したまま、マルサス、リカード、マルクス、ケインズと経済学はこの問題に立ち向かい砕け散っていくのである。

 このあと「なぜミルトン・フリードマンは会社についてすべて間違えていたのか」という痛快無比な論考に繋がって行くのだが、これは是非ともご自分で読んでいただきたい。ここ20年くらいに起きた景気変動や経済事件のあれやこれやの根底、いやさ裏側にはこういう理論、考え方が働いてたのね、と目からウロコが流れ出して止まりません。


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