犬たちの江戸時代 仁科邦男著

 以前読んだ「犬たちの明治維新」の続編…時代は遡ってるから「続編」は変なのか? いや「スター・ウォーズ」を思えば「続編」でいいのか、といろいろ下らないことを考えてしまうが、まぁ同じ著者の作品であります…と、書いて気付いたが「犬たちの明治維新」のレビューでもその前の「犬の伊勢参り」の続編だ、いやそうぢゃないかな、みたいなことを書いてた。人間還暦を過ぎると進歩がないな。

 話は三遊亭円生の落語「鹿政談」から始まる。その昔、奈良では鹿を殺すのはご法度だった。興福寺のそばで豆腐屋を営んでた男がある朝、商売モノのおからを盗み食いしている犬に薪を投げつける。当って倒れたのを観れば犬と思ったが鹿だった。これは偉いことをした鹿を殺した者は石子責めで死刑が決まりだ。豆腐屋は観念して正直に申し出るが人情に厚い奉行は「鹿ではない犬だ」といいくるめて彼の命を救う。

 という話のマクラで円生が江戸の名物として「火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞」と言うのだそうな。それは聴いたことないなと捜してみたらウチにある円生のCD全部で15枚の中に「鹿政談」は収録されていなかった。とにかく仁科先生はこれに疑義を唱える。なんでも自慢したがる江戸っ子が犬の糞の多さを進んでクチにするとは思えない、と言うのである。

 そもそも江戸に犬は多かったのか? 江戸開幕間もないころの文献によると江戸市中に犬はほとんどいなかったらしい。当時の軍学者大道寺友山によればこれは「武家、町方ともに犬と見つければ捕まえて食ってしまうのが普通だった」からなのだ。昨今、韓国で犬料理は野蛮だからやめましょういやこれこそ伝統だという議論がかまびすしいらしいが、江戸の始め、日本人も犬をご馳走として食っていたのである。

 それを食わなくなったのはどうも犬公方といわれた五代将軍綱吉による「生類憐れみの令」あたりが遠因らしいのだが、それで犬が幸せになったわけではない。この制度で集められた犬たちには人間なみにコメのメシが与えられたが、その食生活がビタミンB1欠乏症(脚気)を引き起こしかなりの犬が落とさなくてもいい命を落としたらしい。

 綱吉以外の将軍はハナから犬に冷たい。というか、犬は「鷹の餌」だった。江戸の郊外の百姓たちは将軍家が大好きな鷹狩りのため、鷹の餌として犬を飼育することを義務づけられていたんですな。この鷹狩りが滅法好きだったのが暴れん坊将軍八代吉宗だったりする。

 てな具合にとりあげられている事情をあげつらっていくといつまで経っても終らないのだが、江戸の太平260年間徐々に江戸のまちに犬の糞は増えてしまったのであるが、なんでもかんでもリサイクルしていた江戸の文化のなか、何故に犬の糞だけがその円環からはみ出して市中に散乱していたのか、というその考察はメウロコである。

 あ、そうそう。冒頭の疑問に関して言えば「伊勢屋稲荷に犬の糞」という悪口を最初に言ったのは上方,細かくは京都方面の文人であり江戸の住民自身ではないらしい。ちょっと「さもありなん」と思いました?


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